走らない人が走り始めるとき (20)

東京マラソンを走る人 (後篇) (2022年3月6日)

レーススタート。都庁前から新宿の中心地へ向かう。こんなにも人が多いのか、と地方から上京してきた若者ばりに戸惑いまくり。前にも後ろにも右にも左にもいろんなペースで走ろうとする人がいる。とにかくぶつからないよう、つまづかないようにだけ気をつけて走る。自分の目標ペース、キロ5分20~25秒を全然保てず少し焦る。そんなこんなで最初の5キロはあっという間に過ぎてしまった。

とにかくいいペーサーが欲しい。誰かいい人はいないかと近くのランナーを必死で探す。と、8キロ地点あたりでようやく自分とよく似たペースのランナーを見つけた。ピカチュウの仮装をした小柄な若い女性だ。彼女の後ろに、あんまり近いと気持ち悪がられるだろうから少し離れてつく。どうやらこのあたりで1つ前のグループにいた友人2人を追い抜いていたようだ。ランナーが多くて気づかなかったが、そういえば知った声を聞いた気もする。

しかし実はこの時、一番気になっていたのは真後ろにいる男性の死にそうに荒い息遣いだった。「ハーッ!ハーッ!ハアアアアーッ!ウッ!ハーッ」ととにかくうるさいのだ。10キロ手前でそんな息遣いで大丈夫なのかよ。そのくせスピードを上げて私を抜かしていった。その後もレース中に何人かの異常に大きな息遣いの男性ランナーに出会ったが、あれは気になってしかたがなかった。

そうこうしているうちに10キロ地点を過ぎて上野広小路の折返しに差し掛かった。今回のコースには折り返し地点がいくつかあったのだが、その最初の折り返しであるここ上野広小路で本当に驚いた。折り返しの目印に、あの目立つ黄色でペイントされた「はとバス」が数台、道路を塞いでいたのだ。たしかにわかりやすいが、しかしなんとも豪快なやり方だな。

そしてこの時気づいた。河川敷の草マラソン大会が提供してくれるのはただの42.195キロの線だが、東京マラソンが提供してくれているのは、世界有数の大都市の中の42.195キロにも及ぶ贅沢極まる舞台なんだということを。給水所や救護所に詰めながら拍手で応援してくれる数えきれないほどのボランティアの方々、マラソンのために都心の幹線道路を通行止めして警備してくれているびっくりするほど多くのお巡りさん、救護所にいるお医者さん、(本当はダメなんだろうけど)沿道で熱心に応援してくれる皆さん、どれだけの人がこの舞台を支えてくれているかを考えると大げさじゃなく胸が熱くなる。こりゃ走らせてもらっていることに感謝せんといかん。

折り返して12キロ付近、ピカチュウのペースは残念ながらあんまり安定せず、結局ちょっと遅く感じて抜いてしまった。その後たしか茅場町を過ぎたあたりの14キロ地点くらいだったと思うが、突然前を走る人たちが一斉に向かって右側(対向車線側)に移動するので、何かと思ってつられて私も移動したら、信じられないスピードで疾走するエリウド・キプチョゲ選手とすれ違うことができ、その後を追って鈴木健吾選手も見ることができた。これまたなんと贅沢な。

15キロ地点でいつものように最初の補給食。ポーチの後ろポケットにしまったアミノバイタルを取り出し給水所の直前に開封して飲み、給水所のポカリスエットでも流し込む。この後、20キロでスポーツ羊羹、25キロでジェル、30キロでスポーツ羊羹、35キロでジェルという予定にしていたが、後のスポーツ羊羹を食べるのが億劫になって補給食は結局4回になってしまったが、脚が止まることはなかったので影響は無かったようだ。

日本橋を超えて浅草の雷門に向かい、折り返して蔵前のところで隅田川を渡って20キロ。そして両国駅付近で中間地点だ。昨年秋に友人の呼びかけで東京マラソンのコースを半分ずつ2回に分けて走ったので、この両国駅は1回目のゴールだったし、2回目のスタート地点だった。おなじみの場所である。コースをすでに走っているというのは強みだ。しかし逆の面もあることをここで思い知らされる。

それは、ここから3キロ南下して富岡八幡宮まで行き、そこで折り返してまた3キロ北上するこのコースがけっこうしんどかったことを覚えていたからだ。橋が多くて細かい起伏が多いのである。やだなあ。しかもこの頃から少し尿意も覚えるようになった。おかしいな。スタート直前に出し切った筈なのにもう来たか。

またもや数台のはとバスに圧倒されながら24キロ地点を折返して、25キロ地点くらいからふくらはぎが痛くなり始めた。しかもあろうことか肛門あたりも痛くなってきた。なんかいつもと違う走り方になっているのか。人を避けたり、ペースの上げ下げが多くて身体への負担が大きいのかもしれない。

ここで前にまたあのピカチュウ娘が走っているのを発見。どこかで給水しているときに抜かれていたんだろうか。などと思っているうちにまた引き離されていく。このあたりから目標ペースを維持できなくなり、キロ5分40秒前後になってきている。前回の大会の時は35キロくらいまで平気だったのに明らかに足の重さが違う。

一度追い抜いていた友人2人に後ろから声をかけられ、「3人集合したね」と言われる間もなく2人のペースに全然ついていけずに離されてしまう。ダメだこりゃ。今回は3時間40分台はさすがに無理だな。目標を変えよう。まずはサブ4をしっかり確保しよう。そのためには5分40秒ペースを維持だ。苦しみながら両国駅を過ぎ、再び隅田川を渡って台東区側に戻ってきた。

そこからずっと南下して、また日本橋に入って30キロ地点。んーきつい。呼吸は大丈夫だがふくらはぎが痛い。太ももが重い。そんな憂鬱な気持ちで走る31キロ地点付近の沿道で、「あと10キロ!がんばれ!」と書かれた手製のプラカードを持った人を見かける。ん?いやいやいや。10キロちゃうやん。あと11.2キロもあるんやで!とむやみに腹が立ってくる。せっかく応援してくれているのに。わかっているんだが、腹立ちが停まらない。30キロちょっと走った後の1.2キロの差は途方もなく大きいんだぞ。

しかしその怒りも銀座通りに差し掛かって霧消した。すごい。銀座だ。銀座の道路が閉鎖されて、ランナーのためだけに提供されているのだ。ティファニーがあって、ブルガリがあって、松屋がある。Apple Storeの銀座店もある。沿道には人がいっぱいいて、そのうちの何人かは私達に声援を送ってくれている。こりゃすごい。走るしかないよな。

気持ちが戻って、銀座四丁目の交差点で右に折れて晴海通りに入り、有楽町からいよいよ日比谷通りに入る。34キロ地点だ。しかし、ここでまた昨年秋に一度走った経験の悪い面が私のテンションを下げる。そうなのだ。ここからこの通りを片道3.5キロ延々と走って田町まで行き、そこで折り返してまた3.5キロ戻って来なきゃいけないのだが、そのしんどさを鮮明に思い出したのだった。

36キロ地点付近の給水所に差し掛かり、よし、この日比谷通りの単調さはあまりにも辛すぎる。何か変化をつけようと衝動的に考え、正午も過ぎて暑くなりつつあったので手に取った紙コップの水を頭から被ってみた。水はそのまま全部下に流れてTシャツの胸部分がびしょ濡れになって体に張り付く。しかも風が強くてものすごく寒い。変化はついたが、むしろ悪い方への変化になってしまい、早まったことをしたと激しく後悔する。

ちょうどこの頃、御成門あたりの沿道で、一人のおじさんが旧式のラジカセを使い、大音量で大事MANブラザーズの「それが大事」をかけてくれている横を通過。「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くことーっ」という絶叫にもはや笑ってしまう。でもこれはもちろん応援歌なんだろう。喜ばないといけないな。

さらに同じあたりで目の前に走る若い男性ランナーが飲み終えたジェルのゴミを平然と路上に捨てるのを見て腹を立てる。お前なあ、エリートランナーでも無いんだから、ボランティアの仕事増やすなよな。絶対どこかで抜いたるわ、と心に決めるがなかなか追いつけないまま、田町で37.5キロの最後の折り返し地点。

あと5キロ弱だ。脚は相当キツい。さっきのムカつくランナーには相変わらず追いつけない。あー、悔しいなあ、と思っていた40キロ地点でまたもやピカチュウ娘が前に現れた。おおお。なんか知らんがすごい縁だな。追いついたぞ。よし彼女を目標にして頑張ろうと自分にハッパをかける。しかしどれだけ頑張っても軽快な足運びのピカチュウに追いつけない。12キロあたりで彼女のことを「おっせーなあ」とdisった自分の不明を恥じた。

同じ頃、「死ぬ気でやれ。どうせ死なないから」とプリントされたTシャツを着たおっさんが走っているのに気づく。こういう、居酒屋の暖簾みたいなのに書かれているオヤジの説教的なフレーズのTシャツをなんでおっさんは買ったのか。あるいはひょっとしてオリジナルTシャツを作ったんだろうか。なんか理解できないなと思う一方でたしかにチームのTシャツを作るのも悪くないなとも思う。

ピカチュウが内幸町の交差点で外国人の若い男性グループから「ポケモーン!」と声援を受けたあたりで彼女を抜くことを諦めた。しかしマナーの悪かった若い男性ランナーの方は41キロ地点で意地で抜き去ることができた。

地獄の日比谷通りが終わって最後の直線である丸の内仲通りに入る。「あと1キロ」という表示を通過するが、ここからが永遠のような長さ。そんなはずは無いのに、距離の計測を間違えてるんじゃないかと何度も考える。走れども走れどもゴールが見えてこない。息が苦しく、脚も限界だが、しかしこんなにたくさんの応援の人がいる前で絶対に歩けん。絶対に歩かんぞと言い聞かせて最後に左に曲がってようやくゴール。

セイコー製の公式時計の表示は4時間5分ちょっと。これはグロスのタイムのはずだからネットはどれくらいやろ?と思ってたら目の前に走り終えたばかりの友人がいて、「藤形、すごい。ネットで3時間59分56秒だよ。サブ4だ」と言ってくれた。えええっ?そんなにギリギリだったの?自分の計算ではもっと余裕のあるサブ4のはずだったのに。

その訳は後で少し考えたらわかった。こんな大きな道幅のコース(なにせ一番広い道路は5、6車線くらいあったのだ)を走るのが初めての私は、左に右にふらふらと移動して余分に走っていたのだ。結局手元の腕時計のGPSでは42.9キロを走ったことになっていた。

ゴール直後にマスクつけてくださーい、と言われるのだがこれが本当にしんどかった。友人と記念写真などを撮りつつ二重橋方面に歩き、途中で無料提供されていた徳島みかんを食べてその美味さに驚愕。身体に染み込むとはまさにこのことだ。思わず数個一気食べした後、カプセルホテルのお風呂に入るため、足を引きずりながら新橋方面へ向かう。私の生まれて初めてのシティマラソンはこうして幕を閉じたのであった。こんな素晴らしい経験、人生でもそうそう無いなと思います。