都内では高田馬場に姉妹店「純連」東京総本店あり
すみれの紹介をする度にいつも思うことがある。ああ僕は、初めて「すみれ」の味に出逢ってからというもの、一体どれ程多くの人間にすみれを紹介し、彼らの「味噌嫌い」を「味噌信者」へと改宗させたことだろうか。
いわゆる「味噌ラーメン」は、2003年現在、知名度こそ高いものの、まだそれ程の好評を博しているとは言い難い状況にある。正直、醤油ラーメンは勿論のこと、トンコツラーメンよりも人気は低く、最近においては塩ラーメンにも追い抜かれているといったところだと思う。数十年前、醤油と味噌の2大系列を担っていたその片割れともあろうものが、まさかそれ程の憂き目を見ることを誰が予想しただろうか。
しかしながら、残念なことに、現在やはり味噌系は、当初期待されたような評価を受けていないなぁ、というのが正直な僕の感想である。その理由はひとつ。味噌ラーメンそのものが、数十年前の味から殆ど進化を遂げていないのである。
味噌は、そもそも他のジャンルのラーメンと較べて大きなハンディキャップを背負っている。それは「味噌汁」という大きなライバルかつ味噌ラーメンの生みの母の存在だ。我々日本人は、醤油スープには馴染みがなくとも味噌汁には馴染みがある。殆どすべての味噌ラーメンが、その「味噌汁」を超えられないのである。
一般的に美味い「味噌ラーメン」を作るのは非常に難しい所作だと言われている。麺の味を引き出し、味噌汁との差別化を図るためには、スープが味噌汁であってはならないのである。味噌のキツイ味をどのように操縦し、麺とのバランスを保っていくのか。いかにして味噌汁レベルからの脱却を図るか。それは、味噌ラーメン業界の永遠の課題であった。
その課題を見事に打ち破り、味噌ラーメンとしては完璧に近い作品を作り上げたのが「すみれ」である。これを超える味噌ラーメンは、当分の間出現しそうもない。少なくとも都内で食することのできる期間限定メニューでない味噌ラーメンとしては、ここ「すみれ」が最高峰であろう。はっきり言って「別格」である。
「すみれ」は、ラーメン博物館に居並ぶ数多くの店の中でも、1、2を争う古株に属する。しかし行列は現在でも全く絶えることはない。それどころか、常に安定して非常に長い行列を作っているのは、日本全国から精鋭が集まる「ラ博」にあってもここ「すみれ」だけであろう。
ニンニクやラードが惜しげもなく加えられた濃厚味噌スープ。その表層には厚さ数㎜はあろうかと思われる油膜が覆い被さり、熱が逃げないように工夫。それが功を奏してか、最後の最後まで熱々の状態を保持している。あまりにも熱すぎるため、初心者は舌に火傷を負わぬよう細心の注意を払わねばならない。僕などは、十分に事情を承知しているのにも拘らず、未だに火傷を負ってしまうことがある。
スープの中にアクセントとして加えられている肉ミンチも俊逸。熱々濃厚スープと肉ミンチの組み合わせは、悪魔的な旨さを現実のものにする。これはもう、一滴たりとも残さずに飲み干さずにはいられない驚異的な味だ。
そこへ縮れの強いシコシコの中太自家製麺が加わるのだから鬼に金棒だ。強い縮れが濃厚スープを「これでもか」と言わんばかりに絡め、スープを湛えた麺が口内を縦横無尽に弾け飛ぶ。
具は、チャーシュー、味付け卵などだが、味付け卵も半熟トロトロの、キチンとツボを押さえた逸品であり、美味い。敢えて言えば、チャーシューにやや難があるかも知れない。固いすじ肉ではないが、必ずしもトップレベルではないと思う。
もう一つの特筆すべき事項として、ここはメインの味噌だけではなく、醤油や塩も作っているのだが、それらも(味噌ほどではないにせよ)相当レベルが高いものである。
味噌で評価すると、(1)麺13点、(2)スープ19点、(3)具3点、(4)バランス10点、(5)将来性8点の合計53点といったところか。
ちなみに、この店の姉妹店「純連」の東京初の支店が高田馬場にあるが、そちらであれば時間帯によっては行列にならぶことなしに、同じ味にありつくことが可能である。どうしてそんなに簡単に食べることができるのか。それは、その支店の立地場所が高田馬場だからである。高田馬場は、凄まじく高いレベルの店が軒を連ねる日本有数のラーメン激戦区であり、不幸なことに高田馬場には、同じく十撰に推した「渡なべ」や「べんてん」など、超が付く一流どころが存在し、これらの店が「純連」と競合することとなる。「純連」もそれらの店に負けずとも劣らぬクオリティを誇る名店なのであるが、いかんせん有名になりすぎてしまい、「渡なべ」や「べんてん」のように、知る人ぞ知るといった隠れ家的な要素や、この店以外では食べることができないといった付加価値がないため、食べ手側の立場に立ってみれば相対的に有難味がなくなってしまうのである。
(最新実食日02年11月)