旅行5日目 武侯祠(ウーホウツー)
ホテルの部屋に荷物を置き、早速街に出る。目的地は諸葛孔明の墓、武侯祠(ウーホウツー)である。恐る恐るタクシーに乗り込み、「ウーホウツー」と伝えると、車はすさまじいスピードで走り出した。まるで魔法の言葉を唱えたようだ。
途中大通りから外れて路地を走ったが、さすがに大国だけあって、路地ですら道幅が広い。何本目かの路地を抜けると、突如、大通りに面した武侯祠が出てきた。外見は日本の神社のようであり、木々が鬱蒼と茂っていることが外からでも分かる。
門の脇を少し出たところに、閉鎖中と見紛うほどひっそりとしたチケット売り場があり、そこで入場券を購入してから、門を入ると、正面に劉備玄徳の像が見えた。直進して近づいて行くと、その両脇に、関羽と張飛の像が並んでいる。像は張りぼてのようで安っぽかったが、三国志にある通り、関羽を知将、張飛を猛将に表現しようとしている意図はよく伝わった。意外にも張飛の肌は浅黒に塗られていた。彼は、生粋の中国人ではなく、実はチベット系だったのかもしれず、三国志の書中、その旨の説明があったのかもしれないが、何しろ高校時代に同書を読んでから早くも15年も経っているのでまったく思い出せない。
さらに奥に進むと、諸葛孔明の像が出てきた。格式を重んじる中国だけに、この配置からは孔明の方が尊ばれていたことが容易に推察できる。劉備と孔明の2つの像を結ぶ通路の脇には、三国志に出てきた数々の武将(もちろん蜀の武将)の像が、その名と注釈とともに並んでいる。
通路から離れて園内を散策すると、池を臨む喫茶店を始めとして、数え切れないほどの三国志絵巻を物語風に陳列している区画や、この墓苑を訪れた鄧小平や李鵬等の有名人の写真を掲示している区画(ここは、飾ってある花に蜂が多く群がっていて、拝観に困った)、さらにちょっとした博物館になっている区画もあり、飽きさせない。なかでも博物館の中には、無味乾燥な陳列品だけでなく、有名な合戦について戦いの推移とともに行軍の流れを図解したものや、「三国志が海外に与えた影響」と題したコーナーに、日本の三国志の漫画等があり、一般的な博物館と比べて随分と楽しめた。
こうした一画に、劉備玄徳の墓がある。墓に行くには、赤い壁に挟まれた通路を進んで行くのだが、通路は右方向に湾曲して造られており、壁に遮られて終着点が見えないようになっているため、オーソドックスな建築法ではあるが、これにより墓の神秘性が一層高められている。墓の入口の門は、人が通り抜けられるように左右2箇所に穴が開いており、その間には、清の乾隆帝の筆書と刻印があった。墓が文化的にも価値の高いものであることを知る。墓は円形で、その上には木が生い茂り、姿は見えないが、鳥のさえずりが聞こえる。日本の墓地にありがちな陰鬱な感じは、一切受けない。
墓を出た右手では、既に広大な墓苑をさらに拡張する工事をしていた。敷地内には地元の人々も多く、大変な人気ぶりである。「武侯区」という地区名からも、ここの住民が、成都という辺境の地をして中国大陸の首府たらしめた先祖の功績をいかに誇らしげに思っているかが、ひしひしと伝わってくる。
武侯祠を出たところで、日が既に暮れ始めてきたので、詩人杜甫の住居跡という杜甫草堂の観光を諦め、折から腹が痛かったこともあり、トイレを探すことにした。清潔さにおいて、日本人として許容範囲内のトイレなら、ホテルのトイレしかないのではと、周囲を見渡してみるのだが、ホテルはない。目に付くのは、大きくて汚らしい建物ばかりである。そこで、大通り沿いに進んでトイレ行脚に出ると、とてつもなく立派な建物が出てきた。これならと、門脇に立つ守衛に向かって、建物に指を差しながら、ガイドブックを開いて「トイレはどこにありますか」の中国語標記を見せたところ、建物の中に入れてくれる気配を微塵も感じさせずに、来た道の先を指差した。
やむなく大通りをさらに先へ進むと、公衆便所が出てきた。意外にもかなり清潔だ。さすが社会主義国家と感心し、中に入ろうとすると、入口に立つおばちゃんが、指を1本出したり、2本出したりして、どっちなのか聞いて来た。指の数に応じて代金が違うらしい。数の意味が全く分からないまま、大だから数の多い2本かなと、指を2本出して、金を払い、トイレに入った。中は電気が点かず真っ暗だったため、壁の上から漏れてくる明かりに使用したポケットティッシュをかざしたりして、何とか用を済ませる。
トイレを出ると、タクシーを拾って、麻婆豆腐発祥の店、陳麻婆豆腐店へと向かった。運転はやっぱり荒いが、体の大きな運転手は割と親切で、店の前まで車を付けてくれたので、釣り銭をチップとして渡すと、体を小さくして大変喜んでいた。きっと国際交流の一助になったはずだ。
店では麻婆豆腐と白飯とコーラを2本頼んだ。料理が来ると、まずは記念にと、店員の失笑にもめげずに麻婆豆腐を持つ姿を写真に収めてもらい、それから食事を開始した。本場の麻婆豆腐には、肉が入っておらず、その代わり山椒が山盛りになっている。あまりの辛さに、これを食べた職場の後輩が胃痙攣を起こしたというのも頷ける。にもかかわらず、周りの中国人は、間断なく談笑しながら頬張っていた。料理も客も本場だけある。12元(180円)を払って店を出た。
続いて町の雰囲気を少しでも吸い込もうと、庁舎まで歩いて行った。途中ずっと路地を行くのだが、路地だけに街灯が少ないものの、片道2車線の車道に転用できそうなほど、やはり道は広い。大通りに出たところでタクシーを拾い、ホテルに戻った。車窓から庁舎を見ると、たかだか一省の庁舎なのに、その建物は一国の官公庁ほどにとてつもなく大きく、見る者を圧倒する。しかし庁舎前の煌びやかな広場を通り過ぎてホテルの近くに戻って来た頃は、街灯も少なく、暗かった。
明日の出発を前に、最後の旅情に浸ろうと、トラストマートの方に行った。途中、買うつもりもないのに、スポーツ用品店に入ったり、再びCD・DVDショップに入ったりし、翌日の朝食用にとパン屋で焼き菓子を買った後、トラストマート前の広場に至る。トラストマートの隣のケンタッキーフライドチキンで腹拵えをしようかと考えたが、鳥インフルエンザの猛威を考えて止めておき、しばらく、あるいはひょっとしたらもう二度と見ることがないかもしれない景色を目に焼き付けようと、当て所もなく散策した。
来た道と広場との間には、公団の中の商店街といった風情の一画がある。そこには小物屋、床屋、料理店等が軒を連ねているのだが、それだけでなく、通路には商品を陳列する卓が並べられており、一見して海賊版と分かるCDやら、時計やら、携帯電話やら、その他様々な雑貨が売られている。その中に人だかりで大盛況な卓があったので、惹かれて行ってみると、知恵の輪の類の玩具が売られていて、皆が謎解きに熱中していた。様々な形をした木片を並べ替えることで色んな図形を作るという見慣れた玩具があったので、通行人をギャフンと言わせてやろうと、手にとってやってみたのだが、恥ずかしながら全くうまくいかない。10分くらい粘って頑張ったのだが、結局諦めてぶらぶらとさらに散策し、暗闇の中で太極拳に熱中している集団に出くわした後、ホテルに帰った。
部屋に着くと、しばらく帰国の寂しさに耽りながら、窓越しに外を眺める。手前にはレトロな汚らしい集合住宅が建ち並び、生活臭が漂いまくっている。その向こう側には、警察・検察院・法務院が凛然と構えていて、何やら象徴的な風景であった。