F形氏の大いなる遺産
1998年8月。今年の夏もでたらめな暑さが続く。
今年4月にあった人事異動のため、「虚々実々新聞」創刊以来紙面を賑わせてきた登場人物たちはことごとくW歌山支店を去っていた。
虚々実々新聞を廃刊の危機に陥れ (第7号、第8号を参照)、さらには最後までタイトルを「奇々怪々新聞」と勘違いしていた営業部長のO塚氏はO阪のK阪支店へ。華原朋美ファン事件 (第1号参照) により支店内外に衝撃を与えたM島主査はT京本社へ。営業車輛炎上事件 (第6号参照)、新人研修生セクハラ疑惑 (第9号参照) などを引き起こし、W歌山支店営業部を揺るがせたA池社員はK西支社のD話帳事業部へ。そして数知れぬ問題行動・問題発言によってW歌山支店を崩壊寸前まで蝕み、「現代の黒死病」とまで形容されていたF形社員はK西支社E業部、さらには彼の最大のライバルN田社員も同じくK西支社Mルチメディアサービス部へと移った。
こうしてW歌山支店には約2年ぶりに平和な日々が訪れた。いや。訪れたかに見えた。が、それは実のところまったくの表層的なものに過ぎなかったのである。
1997年8月。当時、W歌山支店営業部Mルチメディアビジネス企画担当であったF形社員が極めて伝染性の高い疾患にかかり入退院を繰り返していた事実が先ごろ関係者の証言などから明らかになった。これを受けて市民団体が20日、W歌山市役所前の広場で集会を開き、警備の警察官とこぜりあいになるなど、一部混乱も見られた。事態を重くみたW歌山市保健衛生管理局は、「事実関係を徹底的に究明していきたい」との緊急声明を発表した。
今回の事件は、「日本企業の不十分な情報開示ぶりを象徴するもの」(モルガン・スタンレー主席アナリスト)との指摘もあり、日本の株式市場が低迷するなかで、海外投資家の「日本売り」が一層強まるのではないかとの観測も出ている。またこの事件は、大詰めを迎えたこの大手通信会社の分社化の進行にも微妙な影響を与えそうだ。この件に関して同社広報部は「現在事実関係を把握中であり一切ノーコメント」として言及を避けた。
本紙独自の調査によるとF形氏は、97年8月1日の朝、突如半日の有給休暇をとる旨を職場に連絡、O阪府K和田市内の病院で診察を受けていた模様。当時F形氏とデスクを並べていたG郎大氏 (32) は21日、虚々実々新聞社の取材に対し次のように語った。
「これはプライベートなことなので、あまりとやかく言うのはアレなんだけど、たしか彼は「皮膚・性病科」に行くと言っていたように記憶している。まああの頃の彼はアレだったからねぇ。ふふふふふふ」
事件発覚以来、公式の場から一切姿を消していたF形氏。本紙は幾たびか取材を試みたが有力なコメントを得ることはほとんどできなかった。
だが、事件当時K和田市にあるF形氏の自宅からは、「日本の医学界は水虫について余りにも軽々しい態度をとりすぎているのではないか。ガン告知と同様に水虫告知にももっと気を遣うべきだ。なんだあの医者は。三十分も待たせやがって。診察が始まって靴下を脱いだら間髪を入れずに「あ。水虫ですね」だと。デリカシーのかけらもない。「ごくごく軽度の、皮膚疾患。いやいや「疾患」などという大袈裟な表現を使うことがはばかられるほどの軽微な、とるにたらない発疹です」くらいの表現ができないのか」などとかなり説明的な口調での繰り言が夜な夜な聞こえていたという (近隣住民談) 。
さらに、本名を明かさないことを条件に取材に応じた同僚のN田氏は、「F形氏が97年夏ごろから突如として社内でサンダルを履きはじめた」という驚くべき新事実を明らかにし、以下のように続けた。
「優柔不断で行動の遅い彼が、サンダルを購入し着用するというような、非常に労力を要する作業をなしとげたのには、やはりそれ相応の理由があったにちがいありません。彼の狼狽ぶりが容易に想像できます」
こうした一連の情報収集のあと、われわれはついにF形氏を取材することに成功した。
「ああ。たしかに私は水虫だった」
「あの。まだ何も言っていませんが」
「それを確かめに来たことはわかってるんだ。しかし水虫はもう完全に、100パーセント、完膚無きまでに、完治したのだよ」
「水虫は一度発症すると、完治することはない、あるいは非常に完治が難しい疾患だといわれていますが」
「なな。な。なにを言うかっ。そんなに疑うのならほれ。こ、これを見てみなさい」
「あっ。ちょ。ちょっと。ここで靴下を脱ぐのは止めて下さい」
「なにを言うておるか。そっちが信じないからいま証拠を見せようと言ってるんだ。ほれ。どうだね。きれいなもんだろう。ほらほらほら。もっと目を大きく開けて、しっかりとここを見るんだっ」
「うわっ。そ。そんなに近づけると顔についてしまう。いや。今つきました。うげっ」
(本文は下に続く)
==F引T史氏 特別インタヴュー==
「水虫とは、ひとつの生き方である」
F引氏は極めて静かな口調で話し始めた。彼は高校・大学時代を通じてのF形氏の友人であり、現在は某テレビ局に勤務している。大学時代に演劇サークルに所属していたF引氏は、その稽古中に仲間から水虫をうつされ、それはいまなお完治していない。
「完治していないのではない。私は彼と付き合っているのだ。水虫は病気ではない。それは、いうなれば深遠な哲学だ。水虫の前には、実存主義も構造主義も、唯名論も唯物論もただただ無力でしかない」
「水虫というコトバの魅惑的な語感は私に大宇宙を想起させる。そのなかにあるのは無数の星々であり、そこには無限の可能性が横たわり、膨張を続けている。それは壮大なマンダラだ」
「学生時代、私が水虫とはじめて付き合いだした頃、周囲の友人達はこぞって私を「水虫野郎」だの「近づくな。感染る」だのと罵倒したものだった。だが、私には怒りや腹立たしさといった感情がまったく湧かなかった。むしろ私は彼らに対し哀れみに似た感情さえ覚えたのだ。なぜなら水虫と付き合うことで、私は果てしなく広がる空間を手中に収めることができたのだから」
「水虫は病気ではない。彼と付き合うことは難しいことではない。それは、ファミコン界の不朽の名作ソフト『桃太郎電鉄』において、キングボンビーと付き合いながらハワイ周辺で5年間を過ごすことに較べればはるかにたやすいことなのだ」
「友人であるF形君は、まだ彼の偉大さに気づいていないようだが、早晩いやおうなしに認識することになるだろう。そして自らの不明を恥じることになるだろう。F形君はいま過渡期にいるのだ」
「「こちら側にようこそ」とF形君に伝えてやって欲しい」。インタヴューの最後にF引氏はこう語り、そして残暑厳しい東京の街に消えていった。
F引氏は現在、氏のここ数年間研究成果をまとめた水虫思想に関する書を執筆中である。
「前五世紀、シケリアのアクラガスの市民、エンペドクレスは、「世界は火と空気と水と土でできている」と語ったとされている。だがこれが誤りだったことを私は発見したのだ。正確には彼は「世界は火と空気と水虫と土からできている」と言ったのだ。古代ギリシャの知識がイスラム世界へ流入し、さらにそれらはヨーロッパ世界にもたらされたわけだが、その翻訳の過程で誤りが生じたのだろう」
水虫をめぐる思想の根源をギリシャ哲学に求め、閉塞した現代思想の根本的改変を促す氏の意欲作は、『水虫の神話学、あるいは足先の絶対零度』というタイトルで、水虫の沈静期に入る今冬には刊行される予定である。
(聞き手:虚々実々新聞社)
==特別インタヴューここまで==
一方この事件を受け、日本経済新聞社は、同紙の最終面に好評連載中のシリーズ「私の履歴書」の次回執筆者として内定していたF形氏に対し、「契約を一旦白紙に戻す」ことを電話で通告、事実上キャンセルとなった模様。F形氏に代わる執筆者として、落語界の突然変異、林家パー子(本名:神谷京子)さんに依頼する方向でスケジュール調整に入ったことを認めた。
そしてここK西支社E業部。F形氏は今日もHーキンスのサンダルを履いて職務に励んでいる。