会社を休んでチベットへ行こう (11)

旅行3日目 ジョカン

ジョカンは、ソンツェン・ガムポ王の死後、その菩提寺として、オタン湖を埋め立てて建立されたもので、中国の唐から嫁いで来た文成公主が持参した釈迦牟尼像と、ネパールから嫁いで来たティツン王女が持参した十一面観音像とが祀られている。

ジョカンの周辺に到着すると、そこは人と車でごった返していた。500メートルほど手前にある未舗装の駐車場に車を止めた後、ラッパをおいて、ハンジョウと僕はジョカンへと向かった。ジョカンまでは無数の露店が立ち並び、人が文字通り溢れている。カオスのような中にあってなお、人の流れには一定の潮流があり、それに否応なく従わざるを得ない。

陶芸品、衣類、CD・カセット、料理を売る露店が大半で、特にCD・カセットを売る店からは、中国語なのかチベット語なのかは判然としないが、大音量で歌謡曲が流されている。人声と相俟って、著しく活気があり、ラサにあっては異端な空間だ。流れに乗りつつ人を掻き分けて進むと、ジョカンの前の大広場に出て来た。

まずそこで、ハンジョウに倣い、子供に靴を磨いてもらった。曲を口ずさみながら、右足・左足・右足・左足と順番に手際よく、しかも楽しそうに磨いてくれる。隣では、ハンジョウが、その子の母親と思しき人に、靴を磨いてもらっている。セラ寺の砂埃をきれいさっぱりと落としてもらった後、ハンジョウが勘定を済ませてくれ、我々はその広場を直進した。広場の両脇では農作物が売られている。いずれも店構えなどはなく、大きな荷台の上に品物を区画して陳列しており、前輪側を高く掲げて荷台を斜めにすることにより、品物を見えやすくするように工夫している。乾燥した地域だからか、農作物は主として木の実と果物だった。

正門の前の広場では、多くの人々が正門に向かって五体投地をしていた。五体投地とはお参りの一種で、「直立→膝を地面に付ける→両手を地面に付ける→両手を前に滑らせる→両手を伸ばした状態でうつぶせになる→逆順で直立に戻る」という一連の動作を何度も繰り返す。広場は石で出来ているので、体への負担を和らげるために、人の背ほどの長さがある布製の敷物と、その両脇にある分厚い手袋のようなものとを使って、五体投地は行われる。

我々は、この正門の右側にある入口から中に入った。門の中は、石畳で出来た内庭のようなところで、その奥の方の隅にとてつもなく大きな釜が置いてある。さらにその後ろで、僧侶が石段の上で気だるそうにチケットを売っている。例のごとくハンジョウがチケットを購入し、早速我々は、建物の中へ入った。

真正面には、ここにもダライ・ラマの玉座が置かれており、正面に向かって右手に、大きな部屋がある。そこで右を向くと、真向かいには、大きく立派な観音さまが聳え立っている。その周りの供花等を見ると、まるで日本の神社仏閣に来たようだ。その観音さまの周囲を取り囲むように通路があり、その通路を取り囲むようにして、各種の像が祀ってあるお堂が、観音さまに面するように配置されている。チベットの建築はどこも似たような様式だ。

我々は、やはり左から順番に拝観して行った。まずは無量光堂と呼ばれるお堂がある。しかしここにきて、どことなく景色が全体的に不安定であることに気が付いた。例えば、運転中、前しか見ていないはずなのに、サッと人影がサイドミラーを通り過ぎると感じる違和感。それと似たような感じがするのだ。そこで、よ~く目を凝らしてみると・・・。原因はネズミだった。暗いのでよく分からないのだが、歩を進めるたびに、あちこちでガサゴソと音がすることから、その数の夥しさは、まるで目で見ているようによく分かる。ハンジョウは、当初、音の原因がネズミだということが分からなかったようだが、そのうちそれが分かると、彼もネズミが苦手なせいか、恐る恐る僕の後ろを付いて来るようになった。さっきはネズミの真似事のようなことをしていたのに、これではどちらがガイドか分からない。

このジョカンでの圧巻は、釈迦牟尼像を祀ってある一番奥の釈迦堂なので、とりあえずそこまでは殆どわき目も振らずに、遅々とではあるが一直線に向かい、至ると中の釈迦牟尼像は遠目にし、なるべく通路の真ん中に留まるようにした。暗闇にネズミが出没する中、なるほど釈迦牟尼は弥勒菩薩と同じく紫色の髪なのかと冷静を装って感心していると、ハンジョウが律儀に解説を始め出した。「ここの釈迦堂は、その昔、唐の文成公主が・・・」。ガイドとしての責任感がそうさせるのだろうが、「ハンジョウ、もういいだろう」というのが正直なところ。やむなく我慢して聞いていると、足元をネズミがササッと通り過ぎる。ウォッと思わず叫ぶと、ハンジョウが「釈迦牟尼は、キャッ!」なんて言って飛び跳ねる。和田アキコの歌「あの頃は、ハッ!」ではないが、まるでコントのようだ。

悲鳴を上げるたびに二人で爆笑しながら、隣の弥勒法輪堂へ警戒しながら歩いて行くと、お堂の前には石臼のようなものが置いてある。ハンジョウが、石の上部に耳を付けると、オタン湖にいる動物の声が聞こえてくると言うので、ハンジョウに続いて耳を付けると、ネズミの足音が聞こえてきた。本気なのかハンジョウ流のギャグなのか見極めることができず、とにかく脱出したい一心で「聞こえましたよ」と適当に言い、早々と室内から出た。これほど大量のネズミが出るのは、ハンジョウのガイド人生の中でも初めてらしい。原因は不明とのことである。

室内を出ると、次に木製のポタラ宮にあったような急峻な階段を登って、屋上に出た。屋上からはラサ市を間近で一望できる。ジョカンの正面の方角を向くと、彼方にポタラ宮が悠然と構えているのが見え、反対の方角を向くと、チベット族エリアの雑然とした町並みが続いているのが見える。町並みからはチベット人の生活感が漂ってくるようで非常に興味深く、しばらく見とれていると、何がそんなに面白いのかといった目つきでハンジョウがきょとんとしている。屋上でしばらく写真を撮ったのだが、その際にカータを外そうとすると、ハンジョウに止められた。こうした行為は非礼にあたるのかもしれない。